2016/07/29

無題

ご無沙汰しております。

この一ヶ月程、何となくBLOGの更新するが出来ないでいました…出来ないと言うよりは、何て書けば良いのか、気持ちの整理が出来ていなかったと言う方が正解なんですが…やっぱり書かないと、書いて一区切りつけないと、今まで通り前に進んで行けない様な気がするので、書き留めておきたいと思います。

7月の17日、日曜日の晩に、3歳年上の兄が、この世を去りました。

兄は、5年前、東日本大震災の一週間程前に肺がんの手術をしました。地震の為、ライフラインが止まってしまい、術後一週間で強制退院をさせられた事を、今でも良く覚えています。兄は術後、精神的に弱い部分もあり、鬱病を発症したりで、2年程まともに働けていませんでした。いつも母親からは、兄の愚痴を聞かされてばかりだったので、兄は、正直自分にとって、決して良い存在ではありませんでした。

手術から2年程経った、ある日の事、釣りの帰りに実家に寄って晩御飯を食べていると、何やら兄の就職口が決まったと聞かされました。癌になったやら、鬱病になったやら、暗い話題しかなかった兄の事で、久しぶりに明るいニュースが舞い込み、家の中がパッと明るくなった事を思い出します。その時ばかりは、母もニコニコとしてご機嫌だった様に思います。晩御飯を食べながら買ったばかりの俺の腕時計をみて、『俺、時計がねーんだよなぁ』とニヤニヤとしながら手首をさすられると、『しゃーねーなぁ、就職祝いだ!』と、ほぼ新品のG-SHOCKを取られました。社会から一度外れてしまった人間が、再び社会に戻るという事は、思っているよりも難しいのかなと、兄を見て思っていたので、母親の喜んでいる顔を見ていると、本当に良かったなと思えた瞬間でした。

そして、周りの方に話しを聞くと、この二、三年、兄は、とても真面目に働いていた様です。今年の正月に兄と話しをした時も、『まともに仕事が出来ない時期が長かったから、毎日、同じ様な繰り返しでも、明日、仕事がある事が、とても幸せなんだ』と言ってました。今思えば、この頃には、自分の体の変化を感じていたのかもしれません。そして、4月の初旬に、仕事から帰り、ご飯を食べ、風呂に入り、部屋に戻ると突然に苦しみ出し、救急車で緊急入院しました。

片方の肺に水がたまり、殆ど機能していない状態。全身に癌細胞が転移している状態で、治る見込みは0パーセントと医者からは言われた様です。その言葉を受け止めなくては行けない、母の気持ちを考えると、今でも胸が苦しくなります。兄も苦しいでしょうが、母親もまた苦しかった思います。

二ヶ月位、小康状態が続きましたが、寝たきりでいる状態は、すぐに兄の筋力を奪いました。みるみると体重は減り、頬は瘦せこけ、気力も奪っていきました。それでも、家に帰りたいと言うので、入院中、二度ほど運転手をして、家に帰す事が出来ました。可愛がっていた猫の相手をしたり、好きな蕎麦を食べたりと、いたって普通の事をして過ごし、また病院に帰るという、普通の人から見れば何でもない事が、病院暮らしの兄には、とても嬉しい様でした。

三ヶ月目に入ると、日増しに苦しさが増し、モルヒネの量も増えていきました。実家に帰宅する三度目の約束した日に病院に行くと、『今回は体調が悪いので無理そうかも』と言われました。家に帰れる事を、いつも喜んでいたので、余程苦しいんだなと思いました。

12日の火曜日、『俺にも、気分転させてくれ』と言い、久しぶりに、朝から釣りに行かせてもらった。帰りに病院に寄り、いつもの、たわいのない毒舌冗談を言い、苦しそうな兄を笑わせた。『来週も来るからな』と、握手をしながら言った言葉が、兄との最後の会話となりました。

日曜の晩に、兄が逝ったと母親から連絡が入り、駆け付けようかと思ったのですが、母親から『月曜日のお客さんを、きちんとやってから来なさい』と言われた。自分もこんな、親でいたいと思いました。

19日の火曜日に実家に戻ると、寝てる様な顔の兄が布団に横たわっていた。本当に寝ている様だった。暫くすると、酷い頭痛に襲われ、ベットで横になった。窓の外から、今年初めての蝉の声が。きっと来年も再来年も、蝉の声を聞いたら、俺の事を思い出してくれよってメッセージの様にも聞こえた。


翌日には、灰になり、兄は、この世から本当に居なくなった。本当に、あっけなく居なくなってしまった。そんなに仲の良い兄弟ではなかったが、この半年で何年分も会話できた様に思う。学生の頃、兄から受けた影響も大きかった。音楽好きは兄の影響だったし、バイクも兄が乗っていたから乗っている。なんだかんだと言いながら、本当は、仲が良かったのかもね。

こんな事を、blogに書くのは、どうかとも思いましたが、気持ちの整理が付かなかったので、何となく一区切り出来そうです。


ありがとうございました。





















結婚していない兄が、うちの長女を抱いて喜んでいるところ。そんな長女も大学一年生になりました。




 最後に、アニキありがとね。